9月27日(日)の礼拝


説教:「神様に背負われて」


Words今週のみ言葉(聖書朗読箇所)から

イザヤ45:21意見を交わし、それを述べ、示せ。だれがこのことを昔から知らせ/以前から述べていたかを。それは主であるわたしではないか。わたしをおいて神はない。正しい神、救いを与える神は/わたしのほかにはない。」
 
神様は,救いのわざをただ実行されるだけではありません。ご自身のご計画の内にある救いを「昔から知らせ」ておられ,そして御心の時にそれらを実行されるお方です。神様の救いと力,そして人々に対する愛を知れば知るほど,偶像の虚しさとそれを礼拝することの愚かさが際立ちます。

イザヤ46:4「同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」 
 この預言書が書かれた当時,バビロニアはまだ一つの新興国に過ぎず,その国にユダ王国が攻め滅ばされるという未来を予見できた人は一人もいなかったはずです――100年も先のことですから。しかし神様は見通しておられました。ご自身が歴史を動かされているお方だからです。その事実をもってみ言葉を読んでみましょう。「背負って行こう(4節)」の重みが断然違ってきます。

*聖書は特に断りがない限り、全て新共同訳聖書(©1987 日本聖書協会)から引用しています。
タイトルとURLをコピーしました