4月17日(日)主日家庭礼拝の手引き

説教 「精錬された言葉」 

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ペトロと言う人がいました。ペトロはイエス様の12弟子の一人でした。イエス様が行くところ大勢の人々が付き従い、弟子となって行きましたが、この12弟子とは特にイエス様といつも寝食をともにする限られた人々でした。ペトロをこの12弟子のうちの一人に選ばれたのは他でもないイエス様ご自身です。イエス様に選ばれる前、ペトロは漁師でありました。漁師と言えば私たちにすぐ思い浮かぶのは、いわゆる荒くれ男、喧嘩っ早くて口のききかたも乱暴、しかし人情に篤いというところではないでしょうか。ペトロという人はまさにそんな漁師の典型ともいうべき人で、よく言えば熱血漢、悪く言えば単細胞、考えるよりも先に口が動いてしまうタイプです。裏表がなくて、大変素直ないい性格なのですが、思慮が浅い。聖書に記されているいくつかのエピソードが、そんなペトロの性格をよく表しています。

 例えばマタイによる福音書14章の後半、真夜中、強風で波の高いガリラヤ湖をお弟子たちが賢明に船を進めていたとき、暗闇から突然イエス様が湖の上を歩いて近づいてこられました。恐かったでしょうね。弟子たちは皆恐ろしさのあまり「幽霊だ」と叫んでおびえてしまいます。イエス様はすぐそんな弟子たちに「わたしだよ。恐がることはないんだよ」と話しかけられます。その声を聞いてすぐに「本当にイエス様なのでしたら、水の上を歩いてここまで来いとお命じになって下さい」と答えるのがペトロです。口が早いだけでなく、行動も早い。イエス様が「来なさい」と答えられると、直ぐに船の舳先をまたいで波の間に身を投げ出します。そして実際水の上を歩くのです。何歩歩いたとかは書いてありませんが、「水の上を歩いてイエスのほうに行った」とありますから一歩や二歩ではなかったのだと思われます。そんな彼が、それまでイエス様だけを見ていた目をふとそらして、周りの吹き荒れる風や足元の波を見た途端、恐くなります。もう歩けません。もう歩けないと思った途端体が沈み始めます。「イエス様、助けて!」

まだ年端のいかない子どもが自分の背丈の何倍もあるジャングルジムにぐんぐん登っていってその頂上までいってしまう。そこまではいいのですが、下を見ると恐くて自分で降りることができない。「お父さーん」「お母さーん」と泣き叫んで助けを求める、あれと同じです。全人類の歴史のうち、水の上を歩いたというのはこのペトロ一人でしょう。

そんな性格のペトロ、考えるよりも先に口や体が動いてしまうペトロをイエス様は何故12弟子の一人に選ばれたのでしょうか?イエス様は素直で単刀直入なペトロを評価し、彼の欠点はご自分が訓練することによって矯正しようと考えられたのでしょうか?イエス様がペトロたちと寝食をともにされた3年の間、彼らの訓練はどれだけの成果をあげたでしょうか。人間的な見方からすれば、その訓練の結果は見事失敗に終わったとしかいいようがありません。イエス様が彼を憎む祭司長たち、長老たちによって逮捕されると、お弟子たちは皆逃げてしまいました。信仰をもってついてくるどころか、イエス様を裏切り、見捨てたのです。ペトロも例外ではありません。彼は隠れながらも捕らわれていくイエス様の後をつけ、大祭司の家の庭にまで入っていくのですが、「自分はイエス様の弟子だ」「イエス様は何も悪いことをしていない」と名乗り出ることができません。ついさっき、まだ数時間もたってない前に「たとい全部の者があなたの故につまずいても、私は決してつまずきません。」と言ったばかりのペトロがです。

ペトロは泣きました。ただひたすら、激しく泣きました。イエス様と親しく過ごした3年間の結論は、この涙でした。主の言葉を思い出し、自分をじっと見つめる主のまなざしを思い返しては、ただ、泣くことしか彼にはできませんでした。

この涙こそが、後の使徒ペトロの基盤であります。先ほどお読みいただいたペトロの手紙第一。この手紙を読む度に、私たちは著者ペトロの涙を思い起こします。あれほどまでにこの自分を愛して下さった主を、自分は裏切った。見殺しにした。今まで自分でも思ってもみなかったほどの恐ろしい自分がここにいる。自分のうちにある。生きている。その醜い姿に絶望し、泣いて、泣いて、泣いたペトロ。そんな彼だからこそ、この手紙が書ける。

イエス・キリストの使徒ペトロから、
ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、
ビティニアの各地に離散して
仮住まいをしている選ばれた人たちへ。

挙げられている5つの地名は、いずれも現在のトルコの領地内に見いだされるものです。それらの各地域に離散して仮住まいをしている人々とはどういう人々か。当時のローマ皇帝クラウディオ帝によって全ユダヤ人がローマから退去させられたことが使徒言行録18 章 2 節に記されていることから、その人々とは退去させられたユダヤ人クリスチャン達と,彼らが行く先々で福音を宣べ伝えたことにより、クリスチャンとなった人々のことではないかと想像することができます。当時、ローマ帝国は国策により領地内のあらゆるところに自らの植民都市を建設していきました。ただの田舎、寒村でしかなかったような場所に、ローマ兵を常駐させ、また人々を強制的に移住させることによって、ローマ文化を植え付けていくのです。ローマから追放されたユダヤ人クリスチャン達も、この国策に従わせられ、帝国内のあちこちの植民都市に移住させられます。人々はトルコ地方の山深く険しい道をたどって、それらの街のひとつにやっとこさたどり着きます。帝国の首都ではかなり裕福な生活ができた人であっても、そのような困難な旅に携えていける財産など、たかが知れています。しかも言葉が違う、文化が違う、生活習慣も何もかもが違う。そんな所に無理矢理移住させられて、それでも到着したその日からなんとか生活を成り立たせていかなくてはならない。

手紙の宛先は「離散した人々」になっています。教会ではありません。教会として成り立つ程、そこにはまだイエス様を信じる人々が集まっていなかったのかもしれません。誰々さんは何々地方のどこそこに移住された。誰々さんの家族は、どこそこに移住して暮らしている。誰々さんは、何とか言う所に行ったらしい。それらの、本当に散り散りになってしまった信仰の友人たちが、見知らぬ土地でどんなに心細い思いをしていることか、孤独な境遇に置かれてしまったか、苦労させられていることか…。そんな人々に何とか励ましの手紙を送り届けたい、そんな気持ちに促されて、ペトロが書いたのがこの手紙。

 だから私たちは、この手紙の背後にペトロの涙を見る。ペトロの涙をみるからこそ、真剣にこの手紙を読む。私たちに直接語りかけるものとして読む。この手紙から私たちが聴くべきことは何か。手紙からくみ取り、従うべきことは何かを真剣に探す。3節、4節をご覧下さい。
わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。
神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、
死者の中からのイエ
ス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、
また、あなたがたのた
めに天に蓄えられている、
朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてく
ださいました。
神さまの豊かな憐れみ。豊かな、憐れみ。わたしたちの新生。新たに生まれ変わる。イエス様の復活。死んでしまわれたイエス様の驚くべきよみがえり。そして生き生きとした希望。生き生きと、私たちの胸の中で躍動し続ける希望。そして天において私たちを待ち受けている諸々の祝福!
これら一つ一つの言葉が、どんなに私たちの、人々の心を励まし、元気づけてくれることか。まさにこの手紙こそ、数知れぬ試練と涙をとおして練られに練られた続けてきたペトロ、まさに金が炎によってより純度の高い純金へと変えられていくように、精錬された信仰を持つペトロであるからこそ、この奇跡のようなみ言葉を書き綴ることができたのだと思います。来週以降もこの手紙を数週間にわたって読んで参ります。

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