4月12日(日)イースター 家庭礼拝の手引き

イースターおめでとうございます。

今朝からしばらく会堂に集まることなく,それぞれの家庭で主日の礼拝を守ることになりました。でも,私たちになくてはならない絆はキリスト・イエス様のみ。むしろそのことを喜び,感謝しましょう!
「…あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。…まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。」(ヨハネ4:21, 23から)

礼拝プログラムは,次の「礼拝プログラム」タブをクリックして下さい。このプログラムに沿って,賛美を献げ,祈り,聖書を読みましょう。宣教の部分は下記の説教を読みましょう。

*次の「ダウンロード」タブから,印刷用「家庭礼拝の手引き(説教付)」ファイルをダウンロードできます。

聖 書1 ルカによる福音書24章25~32節
賛  美 新生 213 われらに伝えよ
個々の祈り *自由にお祈りを献げましょう
主の祈り
聖 書2 イザヤ書25章6~9節
宣  教 「われらに伝えよ,主のものがたり」
献げもの 新生 658 このささげものを(B)
   又は 新生 51 かみさまありがとう         *賛美の後に,感謝の献げものとお祈りを献げましょう
賛  美 新生讃美歌 674 父 み子 聖霊の
黙  祷

説教 「われらに伝えよ,主のものがたり」 

+印をクリックすると,説教が段落別に表示されます。

♪ われらに伝えよ,主の物語 ♪(新生讃美歌213番)主とはイエス・キリスト,主の物語とは,今から約2000年前にパレスチナのベツレヘムで生まれ,エルサレムで十字架刑にかけられたその方,主イエス・キリストの物語です。物語といいますが,作り話の物語ではありません。実際に起きた出来事です。この物語を,教会は「福音」と呼びます。グッド・ニュースという意味です。教会はこの物語に,この物語だけにこだわってきました。

私たちは,主イエス様の物語にこだわります。何故ならば,この物語こそは私たちの光だからです。どういう光でしょうか?たとえれば,灯台の光のようなもの。レーダー探知機がまだ存在していなかった時代、夜中の嵐に巻き込まれた船の船乗りたちが,わき上がる恐怖を必死に押さえながら,「大丈夫だ,あの方向さえ見失わなければ,きっと自分達は助かるんだ」と言い聞かせ,勇気を奮い起こすことができたのは,その光があるから。

今日,明日,あさってと,続きゆく人生の中で,どんなに辛いことが起きても,どんなに困り果てた状況に陥っても,右を行くことも左を行くことも,前にも後ろにも進むことが出来ない絶望的な瞬間が訪れたとしても,この光が私たちには見えるから,あきらめないでいることができる。この光がある限り,私たちは耐え忍ぶことができる。私たちを支え,導き,勇気づける灯台のともし火,それが,主の物語。主のご生涯を語り告げる尊きみ言葉。だからわたしたちはこの言葉の光を決して忘れることがないように,いつでも思い起こすことが出来るように,どんな切羽詰まった瞬間にも,すぐ光の方向に目を向けることが出来るように,こころに刻みつける。

「われらに伝えよ,主の物語。」私たちがそんなにもその物語にこだわるのは,それが十字架の主の物語だから。人から蔑みを受けて深く傷ついた時,人々の無関心と孤独のうちに心がどこまでも沈んでいく時,痛みの激しさにのたうちまわっている時,悲しみの涙がとめどなく流れ続ける時も,私達は主の物語を思い起こす。十字架の主の物語が冷え切った私達の心に火をともし。私達を力づける。十字架のイエス。裸で十字架の上に晒されるという恥辱の極みの中で死んで行かれたあのイエス様こそは私の神。私の悲しみも,苦しみも,恐怖も,涙も,あのイエス様が,イエス様だけはどこまでもご存じで,共に悲しみ,共に耐えて下さっているのだと。

「われらに伝えよ,主の物語。」私達は主の物語を愛します。週毎に主の物語の象徴であるあの十字架を見上げて礼拝し,日々,主の物語を告げる聖書を読んで,思いを巡らせる。私達だけではありません。世界中に散らばる無数の人々が,主の物語を心から愛しています。今の私達だけではありません。この約2000年もの間,教会は,教会に集う人々は皆この物語を慕い,愛し続けてきたのです。何故,私達はこんなにも主の物語を愛するのでしょう?

私達が愛しているのは,物語そのものではありません。2000年も前に死んだかつての偉大なる人物をただ偲ぶために,物語を求めているのではありません。私達が愛しているのは,イエス様ご自身です。イエス様は復活された主,今も生きておられるお方です。そのお方に,私達は主の物語をとおして触れ,交わることができます。イエス様のご生涯の物語を通して,私達はイエス様を心に思い描きます。イエス様のご性格を理解します。イエス様ご自身の心に私達は触れることができます。主の物語を心に思い起こす時,イエス様ご自身が私達に向かい合い,語りかけて下さるのです。

十字架にかけられた主の物語は,私達人間の最大の悲しみ,恐怖,苦しみである死を,神なるお方イエス様が,打ち破って下さった物語です。それは主への希望を抱いて生きる私たちの物語でもあります。イザヤ書25:7-9、今日の箇所です。

主はこの山で
すべての民の顔を包んでいた布と
すべての国を覆っていた布を滅ぼし
死を永久に滅ぼしてくださる。

主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい
御自分の民の恥を
地上からぬぐい去ってくださる。
これは主が語られたことである。

その日には、人は言う。
見よ、この方こそわたしたちの神。
わたしたちは待ち望んでいた。
この方がわたしたちを救ってくださる。
この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。
その救いを祝って喜び躍ろう。

全宇宙の全てを造り,司っておられる神,そのみ約束をことごとく成就される全能の神様が,聖書を通してこう語っておられます。その神様ご自身が,いつの日か必ず,すべての顔から涙をぬぐいとって下さる。その主なる神が,ご自分を慕い求める民が,この地上で受けてきた恥辱のすべてを,ぬぐい去って下さる。

この世に生まれてから死を迎えるまで,人は各々様々な人生を歩みます。中には,生まれて間もなく息を引き取ってしまう赤ちゃんがいます。悲しみと苦しみと孤独の人生,本当に気の毒としかいいようがない人生を歩まなくてはならない人もいます。誠実に歩みながら不幸に見舞われる人がいます。不条理です。でも,復活の主,イエス・キリストが,死を打ち破って下さったが故に,私達は必ず生きて,自分が受けてきたどんな苦しみをも,どんな悲しみをも,どんな恥辱をも超える喜び,震え踊るような喜びで満たして下さるのです。
♪ われらに伝えよ,主の物語。
 とうときみ姿,こころに映さん。♪
主の物語をこころに刻み,十字架の主のみ姿を,こころに映す。そうして人生を歩み尽くした時,私達はそのみ姿,私達の心の内にではなく,実際に生きておられる主にお会いするのです。その方が主,イエス・キリストです。その方が,あの物語を生きられた主,十字架につけられたイエス様です。主の物語を愛し続けてきた私達は,心から喜びの叫びをあげることでしょう。「見よ,この方こそわたしたちの神。この方こそわたしたちが,わたしが待ち望んでいた主だ!」と

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