説教:「慰めの神」
Words:今週のみ言葉(聖書朗読箇所)から
◆イザヤ40:6「呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。」
誰の上にも必ず訪れる死。自分達は死に対してどのように向き合えばいいのか?その切実な疑問に応えようとするのが宗教なのだと思います。「人の人生は儚い」と多くの宗教は言います。聖書も同じことを言っています。しかし聖書は「だからあきらめなさい」とは言いません。草花にも等しい私達にそれでも聖書は呼びかけ続ける。永遠に連なる希望がそこにあるからです。
◆コリント(二)1:5「キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。」
人生には苦しみがあり悲しみがあります。だから慰めが必要です。希望があります。だから慰めが可能となります。聖書が語る希望は,決して消えることがない確かな希望です。宗教は通常,命の儚さを基準に人生を考えようとしますが,聖書はこの希望の方を基準にすることを教えます。するとどんでん返しが起こります。悩み苦しみが深ければ深いほど,慰めが満ちあふれるというどんでん返しです。
*聖書は特に断りがない限り、全て新共同訳聖書(©1987 日本聖書協会)から引用しています。
